About me ZENOBIA MAMANI   my identity, Cosmo Vision Andina 幼い頃の想い出/セノビア ママニという人生/コスモ ヴィジョン アンディーナ/プロフィール |Photo Gallery| |
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セノビア ママニという人生 | |||||||
私は6人兄弟の4番目です。 女性が4人、男性が2人です。 フアナ、私の母親でとにかく働き者のアンデスの女性。この小柄な女性がこの世界に私という存在を生んでくれました。 そして、私に彼女の信じている教えと彼女の愛する大地を教えてくれました。 彼女は学校に行ったことがなく、ただじゃがいもやキヌアを育てて収穫することしか知りませんでした。 毎日毎日働き、子供たち6人を守り育てるため、干ばつに備えてできるかぎり食材を備蓄することが彼女の生活のすべてでした。 |
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ビクトル、私の父親で身体が大きくがっちりしていてとってもハンサム。そして、自由に生きるボヘミアンであり、また、生まれつきのヤティリでした。彼はコカの葉で訪れる人々の運勢を読んだり、病気を治したりしていました。 今になってやっと私は、彼が探し求めていたことを理解できます、彼がなぜアルコール依存症だったのか、彼の失望感や寂しさ、人生の悲しみを。子供の頃の私は決して理解することができなかったけれども。 私の両親はとても若くしてこの世を去りました。最初に母親が、次の年に父親が亡くなりました。その後、私はもっと良い未来を探して6歳の時に村を離れ街へ出ました。子供が自分の将来を探して、外へ出ていくのは珍しいことではなく、子供たちみんながやることでした。 あれから数えきれないほどの紆余曲折をへて、わたしは長い年月を東京で過ごし、私の小さな部屋でコンピュータに向かって、自分の人生について少しみなさんに語っています。 |
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これまで長いこと私はいつもボリビアやフォルクローレの踊りや音楽のことしか紹介してきませんでした。もちろんそれが私の仕事だということもありますが、ボリビア文化の普及のために、すべてを捧げてきました。 でも、今回は「セノビア ママニ」という一個人の人生を紹介したいと思いました。 |
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子供の頃の懐かしく物悲しい思い出のすべては、私にもっと普通に子供らしく過ごすことができなかったのだろうかと思わせました。 そしてなにが普通でなにが普通でないのか、大きな都市や豊かな国の子供たちは当たり前に学校へ通い大学を出る。しかし私の人生において大学を卒業することはなかったし、私の現実からは遠くかけ離れたものでした。 私が物心ついたころには、人間は食べるためには自分で働くしかない、自分の人生は自分が責任を持つのが当然だと思っていました。 |
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